ヒシジマのおんがくだいすき!

ヒシジマによる思考の肥溜めでありチラ裏 覗け 茶でも飲め

煙突 - ミツメ

この曲、じつに映画的である。この曲を聴き終えたときの言い知れぬ満足感はこれに由来すると考える。

「煙突」の歌詞に直接的な感情の描写はなく、淡々と情景描写が続いてゆく。

聴き手は、主人公の感情を直接理解するのではなく、歌詞の端々から情景や場面を心に思い浮かべ、喜怒哀楽などの感情で括ることの出来ないような、繊細な心情の機微を汲み取っていくのである。ぼくがこの曲を映画的と感じるゆえんである。

歌詞から感情描写をあえて削り、情景描写に振ることにより、心情の移ろいや機微の解釈は聴き手に委ねる。
結果、よりディテールの細かい心情描写を可能としているように思う。なんて巧妙ですてきなんだ

それゆえその感じ方に正解はなく、受け取り手次第で様々な解釈が可能であることもこの曲の魅力である。この解釈の自由度の高さ、恐れ入る。見習いたいものである

”陸橋に差し掛かったとき ミラーに映ったのは 髪の長かった頃の きみだったような”

いやエッッッモ(語彙力の喪失)

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Futurism - Deerhunter

Deerhunterの『 Why Hasn't Everything Already Disappeared?』しか聴きたくない夜もある (名前が覚えられんので最新のヤツ、紫のヤツ等と呼んでいる)。

なぜそのような夜が訪れるのか?

それは、その「なんともいえなさ」にあると私は睨んでいる

このアルバム、喜怒哀楽のどれにも当てはまらないのである

しかし、無感情状態とも思わない。
つまりこのアルバム、感情が迷子なのである

そのため自分の感情が迷子になっているとき、同じく迷子であるこのアルバムが、一緒に困ってくれているということなのかもしれない

助け合いの精神を持った、やさしいアルバムなのですね...

余談だが他に例を挙げるとZAZEN BOYSでも同じ現象が起こったりする

もともと余談しかしてないだろうとか思った人。明日はあなたの頭上のみ雨です

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さて、耽美的かつどこか幻想的な魅力にあふれた本作ですが、その中でもヒシジマイチオシの曲、「Futurism」を取り上げてみたいと思うゾ

個人的に、とても不思議な曲だと感じている

大学生くらいの頃から「Futurism」のような曲が作れたらなあと思っているのだけれど、うまくいった試しがない

あのえも言われぬ流麗さと浮遊感は一体どこから湧いてくるのだろう

この曲のヴァースはギター、ベース、ドラム共に「ジャッ、ジャッ、ジャッ」と表拍で合わせている。そんなことをしては中途半端にビート感が出てしまい曲の風情を邪魔していまいそうなものだが、この曲にはその邪魔なビート感がまるで無い。効果的な方面でしか機能していないのだ。なんなんだ。

この曲を聴いて「相変わらず不思議だな〜」などと思いつつ、夜のまちを自動的に歩いていたところ、よくよく考えたらこの曲、ヴァースしかないということにふと気づいた。今更すぎる。何年越しだよ

普段、自作曲の構成に頭を悩ませているヒシジマを後目にブラッドフォード・コックスはヴァースだけでヒシジマを大満足させていたというワケだ


参りました。

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Hello / いとこの来る日曜日 - フリッパーズ・ギター

そのとき、高校生だったわたしは通学のため電車に揺られていた。通学時間は、ひまだ。音楽を聴くにはもってこいである

たまたま家にあったフリッパーズ・ギターの1stアルバム「THREE CHEERS FOR OUR SIDE ~海へ行くつもりじゃなかった~」(未だにちゃんと名前を覚えていないのでフリッパーズの1stと呼んでいる)。

良い歌を歌うらしい小沢健二というミュージシャンが、デビュー時に在籍していたらしいこのバンドの音源を、今日はウォークマンに仕込んできたのだ。ひまだしためしに聴いてみることにしよう。
そうしてヒシジマ少年は再生ボタンを押した。これが、のちのヒシジマに大きく影響を与えるような出会いとなるとは、数十秒前のヒシジマはまだ、知らないのであった

おおん...なんかハワイアンでおしゃれな感じだねえ


オッッ!?

急にギアが上がったね!?こんな生っぽい音でギャコギャコやるんだね!?はじめての感覚だな

子気味よい声だね、これはおそらく小沢健二ではないな、小沢健二は歌わないのか?

そうこうしているうちに、曲はサビへと突入する




ブッ飛んだ




これはヒシジマを知る人であればうんざりするほどきいたワードかもしれないが、車両の端から端までブッ飛んだ。おれのHEARTが

こんなサビのこんなメロディ、こんなカラフルなハーモニーが存在しただなんて、ぼくは知らなかった。その頃パンクロックやロックンロールへの憧れ少年だったヒシジマの心を、小山田圭吾小沢健二によるハーモニーがさらっと盗んでいったのである


その日、昼頃までヒシジマは夢見心地な気分でいた

当時ヒシジマはロックンロールやパンクロックばかり聴いていた。しかし、もともとはポップなものが好きである。
心の中のその部分に至るまでの、ロックンロールへの憧れ、意地、固定観念、衝動などさまざまなしがらみをするりと通り抜け、フリッパーズ・ギターはぼくの心と結びついたのである

売れてる音楽なんてすべて嫌いだし、くだらないものだと意地を張っていた当時のヒシジマの心が少しずつ変わり始めたのはその頃からであるような気がする。

ポップなものを素直に受け入れる心のキャパシティをフリッパーズが用意してくれたおかげで、その後アイドルマスターシンデレラガールズにハマることができたり、AKB48なんて当時あんなに毛嫌いしていたのに、今ではEverydayカチューシャが大名曲であるとなんの恥ずかしげもなく主張することができるようになったと言っても過言ではないような気がしている。

ロックンロールへの憧れは今も尽きない。
しかし、この曲、ひいてはフリッパーズ・ギターがヒシジマの感性の幅を広げてくれたお陰で、当時は気づかなかった世界まで今、見渡すことができているように思う。この曲がなければ、今の自分はいなかったのではないかとさえ、思えてしまうのだ。

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ひとりぼっちの人工衛星 - ゆらゆら帝国

好きな曲です


”無線が切れた さよならをした”


出だしのこの情報と曲名だけで、曲が持つ世界観を瞬時に把握することができる


最低限の情報量でリスナーの想像力をここまで引き出すことができるのはさすがの坂本慎太郎である(人生で一人だけ彼のことを「シンちゃん」と呼ぶ人にであったことがある)



”好きな人 好きな場所 好きな星 好きな丘 好きな山 好きな谷 好きな川...”



母星の愛した景色をただひとり追想してゆくこの一幕、涙無しでは聴くことができない



故郷での美しい記憶を慈しみ永遠の孤独を静かに受け入れるような感覚、僕が死ぬ際もこのようであれたらと切に願います

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